転職5回、引越6回。気がつけば流浪の民だった
「ずっと同じ場所に居る必要は無い」
停滞し、反復し、蓄積し、漫然とし、変化はなく、心を砕かれるくらいなら
場所を変えちゃえ!会社も仕事も住む場所さえも。
転職5回、引越し6回から学んだ持論です。
大して深い話はしていないので、眉間に皺を寄せないでください。
つまり同じ場所にずっといるのが無理な当方ですが、そんな当方でも楽しかった場所や思い出はあります。
今回は妙な持論が形成された理由と、住んでみたかった町のお話をご紹介します。
一つの場所にとどまれない
転職2社目で一つの場所にとどまり続けることの無意味さを学びました。
一番初めに勤めていた会社は社員寮だったため、転職の際に引き払い次の会社の近くにアパートをかりました。
兎に角、通勤電車に乗るのが嫌で歩いて行ける距離に家を借りようという安直な考えでした。
近くに借りると通勤が楽だと思ったのも、つかの間。
当方が任された仕事は製品サポートで、とある機械の納品と保守がメインでした。
この会社の方針で、会社名と製品が売れるのであれば「日本全国どこでも行って良し!」
という会社だったため、仕事で行ったことが無い都道府県は気がつけば沖縄と鳥取だけでした。
月の2/3くらい出張をしていたので、あることに気が付いたのです。
「日本はどんな場所にいても大体7時間あれば家に帰れる」と。
この事に気が付いてからは日本にいる限りは「いつでも」「どこでも」行きたい場所に行けるから
一つの場所に拘る意味はないという思想を持つようになりました。
日本ってなんだかんだ狭いのですよ。
そんな考え方なので、現在住んでいる場所もかみさんの実家が近いからという理由だけで選んでいます。
当方に拘りがないのだから、かみさんが喜びそうな場所にすればいいやと。
こんな考え方の当方でも昔は住みたかった場所がありました。
湘南と海と大学と
かつて住みたかった、というか短い間ですが、実際に住んでいた町はあります。
場所は神奈川県茅ケ崎市です。
当方の実家は埼玉県なんですが、大学は湘南にあるということで、一人暮らしをすることになりました。
初めての一人暮らしに胸踊ったのを覚えています。
当方が大学に通い始めた頃はサザンオールスターズ全盛期の時代で、茅ヶ崎海岸がサザンビーチに改名される瞬間にも立ち会いました。
住んでいた場所は茅ヶ崎の内陸側で、駅伝のコースになっている国道一号線沿いにある二階建てのアパートでした。
あまり、住む場所にお金をかける訳にもいかないので、四畳半1DKの部屋を借りました。
洗濯機すら置くことが出来ない狭い間取りでした。
それでも住めば都とはよく言ったもので、料理、洗濯、掃除、ごみ捨て、何やっても楽しかったのを覚えています。
そして、埼玉県民の悲しさでしょうか、海があるだけで大はしゃぎです。
夜中になると、バイクにのって海沿いの国道134号線を時速30km/hくらいでトロトロと走り、ゆるーい潮風を肌で感じながら防砂林が切れて江ノ島が見える辺りまで行ったら、折り返して家に帰るという、
無駄な上に無意味で生産性のない、それでいて贅沢な「人生の夏休み」を堪能していました。
茅ヶ崎近辺の街並みはサザンの歌の世界なんですよね。
烏帽子岩にホテルパシフィック跡地、江ノ島を眺め、稲村ヶ崎でリスを見て、横浜に抜けて山下公園でマリンルージュに乗る。
おっと、マリンルージュは配膳のバイトでしか乗ったことはありませんが。
今思うと、この時代はちょっとしたファンタジーだったのかも知れません。
ファンタジー故に、就職して東京で住みはめた頃は『湘南良かったなぁ』とよく思ったものです。
でも現実問題、東京で仕事をするのに湘南に住むのはナンセンス。東京で仕事をするなら東京に住むのがベストという結論。
結局の所、風情より利便性をとったわけです。
社会人になって数年もすると、住みたかった事すら忘れていたわけですが、縁とは不思議なもので
茅ヶ崎で知り合った友人が当方の義理の妹に職場の後輩を紹介したことで、今年結婚して湘南で暮らし始めました。
たま~に義理の妹や友人に会いに行くんですよ。
勿論、湘南に。
今は住みたいとは思いませんが、たまに行くから楽しめるレジャー施設、ディズニーランドみたいなものなんだと思います。
年齢を重ねる内に住む場所にこだわりは無くなってしまいましたが、湘南に来るとちょっとだけ若かった頃を思い出します。
やっぱり青春という成分が含まれている場所だからかなぁ…。
では、また!
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